常兼は常長の長子なり、父常長と共に源義家に從ひ淸原氏を征して功あり、下總權介に任し從五位下に叙せらる。上總大椎に居りしを以て大椎權介と稱す。元永元年家を次子常重に讓り大治元年二月卒す、年八十二、法號を觀宥星淨院と稱す、大日寺に於ては之を千葉家の初代となせり。
子常重・常家・常康・常廣・常衡・胤光あり、上總・廳南・天羽・角田・金田・大内・潤野・臼井・匝瑳・鷲尾・飯高・湯淺・海上・椎名等諸氏の祖となる。
第三代 千葉常兼卿
常兼は常長の長子なり、父常長と共に源義家に從ひ淸原氏を征して功あり、下總權介に任し從五位下に叙せらる。上總大椎に居りしを以て大椎權介と稱す。元永元年家を次子常重に讓り大治元年二月卒す、年八十二、法號を觀宥星淨院と稱す、大日寺に於ては之を千葉家の初代となせり。
子常重・常家・常康・常廣・常衡・胤光あり、上總・廳南・天羽・角田・金田・大内・潤野・臼井・匝瑳・鷲尾・飯高・湯淺・海上・椎名等諸氏の祖となる。