兼胤は滿胤の長子にして母は上杉憲藤の女なり。應永十六年七月新田貞方竊に兵を擧けん事を謀る、兼胤之を捕へて七里濱に斬る。應永二十四年上杉氏の亂に父と共に持氏に降れるは前旣に述へたり。三十年持氏に從ひ小栗滿重を結城城に攻め之を破りて勇名を揚く。三十三年家を繼いて下總介となる。永享二年六月鎌倉に卒す、年卅九、法號を喜山法阿彌陀佛と稱す。二子あり、胤直・賢胤是なり。
第十五代 千葉兼胤卿
兼胤は滿胤の長子にして母は上杉憲藤の女なり。應永十六年七月新田貞方竊に兵を擧けん事を謀る、兼胤之を捕へて七里濱に斬る。應永二十四年上杉氏の亂に父と共に持氏に降れるは前旣に述へたり。三十年持氏に從ひ小栗滿重を結城城に攻め之を破りて勇名を揚く。三十三年家を繼いて下總介となる。永享二年六月鎌倉に卒す、年卅九、法號を喜山法阿彌陀佛と稱す。二子あり、胤直・賢胤是なり。