第十九代 千葉輔胤卿

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輔胤は康胤の子にして胤持の庶兄なり。長祿三年家を繼きて下總介となる。此年東常緣の來り攻むるや輔胤之と戰ふ、常緣克つ能はして去る。應仁文明の頃堀越御所足利政知は古河御所足利成氏と相對峙し、兩上杉氏は堀越を助け關東八將は古河に屬して相下らす。文明三年上杉顯定の將長尾景信成氏を古河城に攻む、城陷るや成氏走りて佐倉に來り輔胤に賴る、安房の里見氏上總の武田氏等之を援く。四年春成氏古河城を復して之に移る、仝十年輔胤長尾昌賢に說きて成氏と顯定とを和睦せしむ。明應元年二月輔胤卒す、年七十三、法號を竹墅常公阿彌陀佛と稱す。