第二十代 千葉孝胤卿

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孝胤は輔胤の子なり。文明十一年上杉定正の將太田道灌來りて臼井城を攻む、孝胤父の命に依りて城を守る。旣にして道灌歸國し、其の弟資忠千葉自胤等と共に來り攻むれとも克たす。尋いて自胤等陣を撤して還らんとせしかは孝胤之を追撃して資忠を殺す。然れとも孝胤も亦自胤の破る所となつて臼井城遂に陷る。自胤兵を分ちて臼井を守らしめ自ら武藏石濱に還る。孝胤尋いて臼井城を復す。明應元年家を繼きて千葉介となる。永正二年八月卒す、年六十三、法號を全孝常輝眼阿彌陀佛と稱す。