第二十一代 千葉勝胤卿

20 / 24ページ

勝胤は孝胤の長子なり、永正二年職を襲きて下總介となる。時に北條早雲旣に小田原城を畧して子氏綱をして之に居らしめ、威名漸く盛なり。勝胤之と姻を通じ互に應援をなす。大永五年足利義明小弓城を攻めて原行朝を殺し、移りて住す、之を小弓御所と云ふ、里見義弘等之を奉す。原氏は勝胤の四天王(原・鏑木・木内・圓城寺)の一なり。

勝胤は天文元年五月卒す、年六十三、法號を其阿彌陀佛月峰常〓(クワツ)大居士と云ふ。勝胤禪宗に歸依し仝年二月常〓山勝胤寺を城下に建立せり。