第二十四代 千葉親胤卿

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親胤は利胤の子なり、弘治三年家を繼きて下總介となる。時に千葉氏の宗家衰微して權臣國命を執る、就中原氏最も權勢あり、小金城主高城胤則・土氣城主酒井康治・東金城主酒井政辰之に屬して皆強大なり。永祿六年上杉謙信來りて臼井を攻む、城は親胤の老臣原上野介繁の守る所なり、親胤五百余騎を遣はして之を援けしめ、自ら千葉・佐倉の兩城を守る、謙信利あらすして軍を收めて退く。七年北條氏康里見義弘と國府台に戰ふ、親胤出てゝ氏康を援け大に義弘の軍を破る。

親胤少壯にして勇氣絕倫、驕慢にして氏族諸臣之を疎んす。北條氏政其の制し難きを忌み、竊に其の家臣に命して之を弑せしむ、時に天正七年五月なり、年三十九、法號を月窓常圓眼阿彌陀佛と云ふ。