二、陰陽道と密教の星辰供

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 奈良・平安の宮廷貴族たちの間では陰陽道が盛んに信仰された。陰陽道とは民間に伝わる呪術的信仰の上に、中国の陰陽、五行、易、卜筮、緯書、天文、神仙思想、暦術、占星術、道教の影響を受けて成立した呪術的傾向の強い方術とされている。このような中国の天文観と道教の星辰信仰を背景にした陰陽道に対して、仏教側では、インドの占星術に淵源する『宿曜経』(唐・不空訳)に拠った星辰観が行われた。『宿曜経』の内容は二十八宿と十二宮の対応関係、二十八宿の性格、七曜が各宿をおかしたときの吉凶、七曜とその十二位上における吉凶などを記したものだが、七曜や二十八宿をそれぞれの日に配当し、吉凶や行動の是非をとう『宿曜経』の影響もまた大きかった。『宿曜経』は空海、円仁、円珍等によって将来されたが、修法の日選びに厳格であった密教においては特に重視された。

 十世紀半ばの朱雀・村上朝では台密を中心に尊星王法、本命供、本命元神供、北斗法などの密教星辰供が行われるが、山下克明氏はこれらの成立には九世紀来、北斗七星信仰を継承、展開させていた陰陽家の影響があったという。その背景として氏は貴族社会の天変に対する畏怖、その消除のためになされた目熾盛光法などの経典にとかれる個人と星座の関係があるという。個人と個人の一生を支配する星との相関関係がその基調であり、以後、星が司命神として個人の吉凶禍福、運命を左右するとの密教的星供の伝統となっていくのである。