五.星宮神社と祭神

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 東関東には全国的に、最も多くの星宮神社が分布している。星神社、星形神社などと呼称が違う例もあるが、その多くは明治の神仏分離のおりに改名した結果である。そのために「妙見様」「虚空蔵様」などとの旧称で呼ばれているところもある。ここでは、栃木県を中心に茨城県、千葉県の星宮神社の概況を紹介しておきたい。

①栃木県 全国で最も多くの星の宮神社が分布しており、宗教法人登録社だけでもその数は一五七社を数える。虚空蔵菩薩を本地とし、そのために氏子は鰻を食べない。神社の性格は、開拓の神、作神様とされていることが多い。その分布と祭神の分析を図1で示しておく。星宮神社はこの地に移住させられた新羅系渡来人により祭られたとの魅力ある説もある(張替良「星宮神社の祭神について」『地方史研究』一一七)。しかし、新羅系渡来人と星宮神社の関係を直接に結び付ける史料は今の所ないので、今後に残された課題となる。

地区 範囲 数
足利 足利市 4
安蘇 佐野市,安蘇郡 5
都賀 小山,栃木,鹿沼,今市,日光,上・下都賀 52
河内 宇都宮市,河内郡 32
芳賀 真田市,芳賀郡 33
塩谷 矢坂市,塩谷郡 25
那須 大田原市,那須郡 6
計 157

星宮神社分布数

※この数の仲には境内末社,境外末社となっている星宮神社又は星宮の祠は含まれていない。
含めると338社となる。


栃木県に於ける星宮神社の分布〔図表1〕

〔栃木県神社誌(昭和39),明治神社誌料上(明治45),その他より作成〕
●主祭神を磐裂神,根裂神とする星宮神社
○主祭神を前記以外の神とする星宮神社
▲主祭神を磐裂神,根裂神とする磐裂(石裂)根裂神社
□主祭神を磐裂神,根裂神とするその他の神社(星宮神社は除く)
×主祭神を経津主神,武甕槌神とする神社(星宮神社は除く)

 


〇磐裂神,根裂神以外を主祭神とする星宮神社の祭神

経津主神 38
瓊々杵命 10
香々脊男命 5
高皇産霊神 2
大巳貴命 2
甕速日神
天御中主神
伊弉冊命
事代主命
阿遇突智神
国常立尊
各1

▲☐主祭神を磐裂神,根裂神とする神社

磐裂神社 17
磐裂,根裂神社 6
赤城神社 5
三宮神社 3
磐根神社 2
根裂神社 1
延島,金井,川西,日向,加蘇山,石村,岩本,落合,大葺,楡木,岩崎,立岩,阿蘇,延上,三嶋,三日月,三ノ宮,高尾,太白 各神社 各神社1

▲☐その分布

地区 数
足利 5
安蘇 0
都賀 上都賀 24
下都賀 15
河内 3
芳賀 4
塩谷 2
那須 0

▲☐その祭神内容

磐裂神+根裂神 35
磐裂神 14
根裂神 1
磐筒男,磐筒女命 1
磐筒男命 2
岩折,根折 2

×主祭神を経津主神,武甕槌神とする神社

経津主神 武甕槌神 経津主+武甕槌
磐裂神社 2 鹿島神社 42 鹿島神社 4
三宮神社 2 加蘇山神社 2 大原,春日,藤田,西沢,近津,塩釜 各1
大白神社 2 威怒,大鹿,東宮,高島,行事,口粟野,東江,温泉,厳島,久我、近津 各1
藤宮,沖宮,上宮,香取,黒川,磐根,岩崎,三光 各1

×その分布

地区 数
足利 12
安蘇 6
都賀(上) 12
都賀(下) 20
河内 1
芳賀 11
塩谷 5
那須 10

 

佐野賢治「星と虚空蔵信仰」『民俗学論叢』4.1983より

 栃木県における星宮の分布は山岳部、那須地方を除いて全県下にわたるが、都賀、河内、芳賀の三郡にとくに顕著である。一方、祭神内容から見ると、磐裂、根裂神を主祭神とする星宮神社が圧倒的に多く、これに経津主神が加わっている事例が多い。しかし、祭神を磐裂、根裂神としながらも、星宮神社と称さず磐裂神社のように祭神の特徴から社名をつけている神社が多く、日光~石裂山~大平山を結ぶ線を中心に帯状に分布していることは注目される。このようなことから星宮神社が磐裂、根裂神を中心としながら、これに経津主神が加わり、虚空蔵菩薩を本地とする解説がなされ星宮神社に移行した推移が想定される。磐裂、根裂神は『古事記』では、石析、根析と記され、伊弉諾神が軻偶突智神を斬った際、その鮮血が化成した甕速日神が武甕槌神の祖とされ、剣から落ちた血が天安河辺にある五百箇磐石になったのが経津主の祖とされている。このように磐裂、根裂、経津主、武甕槌神は共通に剣から化生した神である。磐裂神、経津主神(磐筒男命、磐筒女命の児)は剣の化生に加えて磐を神格化した性格を持つ。また、磐裂、根裂神は下毛野独特の神格であり、この地の土着神と考えられる。大和朝廷への帰順という歴史的背景のもとに、在地の開拓神、磐裂、根裂神が中ッ国平定の武人である経津主、武甕槌神、とくに経津主神に結び付けられていく。経津主神が星宮神社に合祀され、武甕槌神が鹿島神社として独立社をなしているのは、のちの香取、鹿島神社の神人の解説、動向の差であろう。

 次に、磐裂、根裂神と虚空蔵との関係が問題となるが、明治の神仏分離に際して、虚空蔵様(祭神‥磐裂、根裂神)→星宮神社となった事例が多いことから「星」という意識が基調にあったことが認められる。この地では早くに、二荒山を中心に横根山、石裂山などの山岳が、勝道、空海を先蹤として開かれ、その伝流が日光修験の成立に連なっていった。つまり、『補陀洛山建立修行日記』『日光山瀧尾建立草創日記』などの記事中に虚空蔵求聞持法の勝道、空海による実修の記載があり、星が明星天子・妙見尊星として登場している。日光にある星宮神社(祭神‥磐裂神)と高坐石が勝道の修行した地との伝説を残し、また、勝道が藤糸といった頃、大剣峰(横根山)で修行中、明星天子があらわれ美菓を上人に授けたなど求聞持法と明星天子に関する表記がしばしば出てくるが、虚空蔵求聞持法は明星の出現をもって悉地成就とすることから、その化身として明星天子がとかれた反映である。また、求聞持法は虚空蔵菩薩の顕す福智の智を求めるものであり、虚空蔵菩薩の持物の宝剣にその智が表徴されているところから、剣の化生である磐裂、根裂、経津主神との関連が説かれたとも考えられる。しかし、『日本書紀』の一書には経津主、武甕槌神が中ッ国平定の手始めに悪神、天之香々背男(天津甕星)を誅するとあり、天津神(経津主、武甕槌)に征服された国津神、磐裂、根裂神がこの天之香々背男に比定されたとも考えられ、現代までもこの尊を祭る社があることからもうなずける。ここで、磐裂、根裂神=天津甕星→明星天子・妙見尊星=虚空蔵菩薩の関係が成立し、本地垂迹の説がなされたと考えられるのである。

 そして、現行の星宮神社は江戸期に成立したものが多いことから、こうした伝流の上にたつ日光修験教団の修験が村落に定着する過程において虚空蔵本地を強く説き、別当寺に依ったと考えられる。このことは、『鹿沼聞書下野神名帳』(宝暦十~元明八)にすでに百二十社の星宮神社が記載され、社掌も別当寺、村、個人と各々記されている中、別当寺に明星寺(鹿沼市日向)、明星院(鹿沼市西沢)など星に因んだ寺名が散見されることからもうかがえる。後に、明治初年における神仏分離の際、虚空蔵信仰を標榜しコクゾウ様と呼ばれていた社はその化身明星天子との関連から星宮神社として再生し、社家的要素の強かった社においては磐裂、根裂神をそのまま社名として踏襲した。日光~大平山間に磐裂、根裂神社が多いのは、古峰ヶ原信仰、石裂山信仰の近世後期の展開も含めてこの理由によると考えられる。また、これを契機に同一の開拓の性格を持つより霊名の高い邇々杵尊を勧請することも行なわれた。

 磐裂、根裂神という開拓神に対する信仰を底流に、虚空蔵信仰を護持した修験の土着化をもって始めて国造=虚空蔵の関係が発現するのであり、栃木県下に圧倒的に多く分布する理由が了解される。そしてまた、鰻食物禁忌などの伝承の広さから、この星宮神社に関係した宗教者の影響力が推し量られるのである。(佐野賢治「星と虚空蔵信仰」『民俗学論叢』四、一九八三)

②茨城県 茨城県には星の宮神社、星神社が六十社ほど分布する。祭神は天御中主命が最も多く三九社、ついで天之香々背男命十二社、岩裂命五社、天穂日命二社、五百筒神一社となっており、坂東一社といわれる西茨城郡友部町市原の星宮神社などを除きほとんどが境内社となっている。古市 巧氏は天之香々背男命が悪神とされながら「天」が冠され、また佳字が与えられていること、久慈市近郊の鬼越山・鬼追坂が天之香々背男命を鬼に見立てての旧跡として語られていることなどに疑問を呈し、古代久慈川河口に大和朝廷に対抗した一大勢力が存在し、この久慈王国の長が香々背男命に比定されると考察した(「鬼越考─星宮香々背男命について」『茨城の民俗』二三、二四、二五)。氏はまた、東征軍の委託を受けた健葉槌命と香々背男命の戦い、巨岩に化けた香々背男を、健葉槌命が鉄の靴で蹴飛ばし、香々背男の化した岩が三個に分かれた記事から石器・鉄器文化の確執を、秦、服部、星、波田野、畑、秦野の姓が八槻から福島の中通りに多いことなどから、香々背男命の流れを汲む人々が機織り、染色に従事したであろうとし、そのシンボルとして北斗星を祀ったと興味深い考察をしている。いずれにしろ、天之香々背男命を主祭神とする星宮神社が地名伝説とも結びついて語られている茨城県の星宮神社は古態をうかがわせる露頭といってもよく、渡来系氏族集団の動向とも合わせての考察が今後の課題となろう。

星宮所在一覧表

星宮神社(友部)
天香々背男命
硯宮神社(潮来境内社)
天香々背男命
半谷神社(下妻)
天御中主命
青麻三光神社(美和)
天御中主命
大宮神社(真壁境内社)
天御中主命
星宮神社(協和)
岩裂命
田上神社(笠間)
天香々背男命
波神社(末社)
天御中主命
十二所神社(下妻)
天御中主命
星宮神社(金砂郷)
天御中主命
鹿島神社(真壁境内社)
天御中主命
星神社(那珂町筑波社内)
五百筒石命
星神社(結城市建田社末) 御岩神社(日立境内社)
天御中主命
天満神社(水海道境内社)
天御中主命
惣躰神社(美浦境内社)
天御中主命
鹿島神社(真壁境青麻)
天御中主命
星宮神社(八千代)
天穂日命
八幡神社(結城)
天香々背男命
八幡神社(古河境内社)
天御中主命
薩都神社(太田境内社)
天御中主命
香取神社(八郷境内社)
天御中主命
十二所神社(八千代)
天御中主命
星宮神社(金砂郷伊勢社内)
天穂日命
星神社(結城住吉社末)
天香々背男命
竹島神社(下館配祀)
天御中主命
王官社神社(高萩)
天御中主命
月岡香取神社
天御中主命(八郷配祀)
大里十二所神社(八千代)
天御中主命
星ノ宮(石岡)
天香々背男命
星宮熊野神社(結城)
天香々背男命
八柱神社(下館)
天御中主命
十殿神社(高萩境内社)
天御中主命
鹿島神社(千代田境内社)
天御中主命
神明神社(総和)
天御中主命
鷲神社(結城配)
天香々背男命
国府田神社(下館)
天御中主命
石井神社(笠間境内社)
天御中主命
八坂神社(新治境内社)
天御中主命
大平神社(利根配祀)
天御中主命
八坂神社(結城配)
天香々背男命
星宮神社(下館)
天御中主命
国王神社(岩井境内社)
天御中主命
妙見神社(谷和原)
天御中主命
星宮神社(下館)
岩裂命
大木八坂神社
天香々背男命
十二所神社(下館)
天御中主命
八坂神社(岩井配祀)
天御中主命
愛宕神社(谷和原境内社)
天御中主命
星神社(岩井)
岩裂命
香収神社(笠間境内社)
天香々背男命
星宮神社(竜ケ崎)
天御中主命
陰陽神社(山方境内)
天御中主命
板橋神社(関城)
天御中主命
星宮神社(岩瀬)
岩裂命
香取神社(茨城境内社)
天香々背男命
十二所神社(下妻)
天御中主命
十二所神社(美和境内)
天御中主命
三社神社(明野)
天御中主命
星谷神社(協和)
岩裂命

新編常陸国誌・茨城県神社誌・茨城県史料その他により作成


図表2 茨城県における星宮神社  古市巧「鬼越考」正・続、『茨城の民俗』より図表を転載

③千葉県 県内には星神社・星宮神社が四一社あるが、祭神はすべて天御中主命である。例外として、船橋市二和の星影神社は祭神を星影神とし、東葛飾郡沼南町鷲野谷の星神社、匝瑳郡光町木戸の星宮神社は祭神を天之香々背男命としている。星神社・星宮神社は八日市場市を中心に香取郡に集中して分布している。一方、妙見神社は二十八社、祭神はやはり天御中主命である。柏市大青田の妙見社は天照皇大神、飯岡の妙見様といわれる海上郡飯岡町の富岡神社の祭神は健御名方命、印旛郡酒々井町本佐倉の妙見神社が天之香々背男命を祭神として祀っているのが例外として見えるくらいである。天御中主命は香々背男命の父親に当たる神格であり、別名を天常立神ともいい香々背男命→天御中主命の祭神変更の痕跡がここでも窺える。また、各地の妙見神社が千葉氏との関係を説くのはうなずけるが、小見川町下飯田星宮大神(妙見様)、東庄町石出星之宮大神(妙見宮)、八日市場市長岡星宮神社(妙見宮)、松戸市紙敷妙見神社(星の神)など星宮神社と妙見神社名称が同時に使われていたり、一方が通称であったりして、習合している例が多いことは注目される。これは北斗星、北斗七星に対する信仰が基調にあり、同じく天御中主命を祭神としながら北辰神社(下総町高倉)、星勝神社(山田町府馬)、北辰神社(通称‥妙見宮、鴨川市北小町)、北星神社(我孫子市根戸)など星に因んだ社名がつけられているのである。以上のように星宮神社=妙見神社、そしてその背後に千葉氏の関係があり、明治の神仏分離において各社の斟酌において社名がつけられていったのである。


図3 千葉県における星宮神社と妙見神社

 以上、関東三県の星宮神社の実態とその祭神からうかがえる性格を粗述したが、例えば明治の神仏分離時に虚空蔵堂→星宮神社と称したのは栃木県に止まらず、岐阜県高賀山信仰の星宮神社はじめ、秋田県男鹿半島を中心とする星辻神社、また、東海村村松の虚空蔵堂も一時、星の宮神社と称していたように、全国的に共通し、虚空蔵信仰と星の結び付きの強さ、妙見信仰との関連、これを解説した宗教者の一様性を認識させられるのである。