に 日浄と 信者を祭る 恕閑塚

かるた絵札

日浄(にちじょう)と

信者(しんじゃ)を祭(まつ)る

恕閑塚(じょかんづか)

 

上総七里法華の日経の唱える不受不施の教えを信仰する信者を江戸幕府は『邪宗門(じゃしゅうもん)』

として禁止し厳重に取り締まりました。

日経の弟子日浄(にちじょう)が寛永十一年(一六三四)野田(現誉田一丁目)に本覚寺を建て、

盛んに布教に専念したため幕府は代官に命じ、日浄以下僧俗六人を捕え江戸に送り、寺は焼き払いとなりました。

日浄らは取調べの末、信徒にみせしめのため街道引廻しの上、はりつけにされ打ち首となりました。

その遺骸を葬ったのが恕閑塚(じょかんづか)です。ところがその夜信者はひそかに日浄(にちじょう)の首を盗み取り本覚寺境内に埋めました。

明治九年に不受不施派が公認されると、本覚寺あとに五日堂が建てられました。