る 流説に 名高い 君待の橋

かるた絵札

流説(るせつ)に

名高(なだか)い

君待(きみまち)の橋(はし)

 

石橋山の合戦で敗れた頼朝は真名鶴崎から舟に乗って安房国平北郡猟島に逃がれ

安房国の源氏累代の家人を招集し、一族の再興をはかりました。

 

当時、上総に平広常、下総には千葉常胤の大豪族がいましたので、この両雄に救援を求める使者を送りました。

千葉常胤は協力を約束し、三百余騎をもって下総国府(市川市国府台)で頼朝を迎えましたが、

伝説では、都川の河口近くにあった君待橋(今はない)で迎えたと伝えています。