
かんばつに
恵(めぐ)みいやます
丹後(たんご)ぜき
『丹後堰(ぜき)』は、今日の農業用水池のことで、江戸時代の慶長一八年(一八六一)
一月十四日から同年五月九日まで四カ月の日子と延人員七千余人を動員してつくられました。
この『丹後堰』は、布施丹後守常長とその子を中心に大工事の結果完成したもので、その名がつけられています。
堰は通称「矢作堰」ともよばれ都川下流域(矢作町地先)にあり、水源は川戸町からさらにその奥にあります。
用水路は矢作(やはぎ)から猪鼻、寒川、五田保(稲荷町)に達する約五キロメートルにおよび、
水量の多いときは今井町の水田をも潤(うるお)していました。
千葉寺には『新滝記念塔』(寛永二年十二月一日建立)などが残っています。