
村民(そんみん)の
難儀(なんぎ)を救(すく)う
名主忠蔵(なぬしちゅうぞう)
江戸時代、千葉村は佐倉領でしたが、領内の農民は苛酷な年貢の取立てに苦しんでいました。
忠蔵は千葉郡組合の名主を猪鼻山に集め、藩に窮状を訴えたのですが取上げられませんでした。
承応元年(一説に正保二年)領内三百余ケ村の名主たちは江戸に上り領主堀田正信、
老中久世広之にも訴えましたが取上げられず、
名主たちは木内宗吾(佐倉宗吾)を正総代に将軍(家綱)直訴を決心し、
ようやく宗吾の将軍直訴が取り上げられ、多くの農民が救われました。
しかし直訴の罪で宗吾父子は処刑、忠蔵らは領外追放となりました。
この人たちの遺徳をしのび宗吾霊堂に霊が祀られています。