ら 乱世の 活躍しのぶ 小弓御所

かるた絵札

乱世(らんせい)の

活躍(かつやく)しのぶ

小弓御所(おゆみごしょ)

 

『小弓城(南生実町)』は応永元年(一三九四)千葉介兼胤の弟、原胤高が築城して栄えました。

その子孫、原胤隆は上総の武田氏と争っていました。

武田氏は自力で原氏を攻略できないと知り古河公方政氏の二男、足利義明を迎えて、永正一七年(一五一七)原氏を攻め、

義明は城主となりました。この城を小弓御所といいました。

一方千葉氏、原氏、後北条氏等は義明に対抗して、天文七年(一五三八)国府台で戦い、

義明は戦死し小弓城は廃城となりましたが、原胤清が北小弓城(生実町)を築き、

その子、胤栄は天正一八年(一五九〇)秀吉の小田原攻めで北条方につき敗れ滅亡しました。

北小弓城跡は宅地化のため残っていませんが、わずかに城外(大巌寺町)に斥候の松が残っています。