
うち揃(そろ)い
将軍(しょうぐん)、鷹狩(たかが)り
御成街道(おなりかいどう)
徳川家康の命により、慶長十九年(一六一四)当時佐倉城主であった土井利勝が
九十六ケ村の農民を動員して、三日三晩で築造したと伝承されています。
別名『一夜街道』『ちょうちん街道』『権現道』とよばれ、船橋から千葉市中田町辺までを
地図上でほとんど一直線にたどることができます。
この街道は『東金街道』というのが正当な呼び名ですが、前述のようにいろいろよばれています。
家康は鷹狩りを好み、武蔵・下総・上総と各地で鷹狩りを行いましたが、
この街道は単に鷹狩りのためばかりではなく九十九里地方を経済的に結ぶ意図もあったといわれています。