ゐ 家康が かりねの宿の 御茶屋御殿

かるた絵札

家康(いえやす)が

かりねの宿(やど)の

御茶屋御殿(おちゃやごてん)

 

徳川家康の命により、当時佐倉城主であった土井利勝が慶長十九年(一六一四)に御成街道と同時に休息所として造営したものです。

一辺約百メートル余のV字型の空壕にかこまれ、壕の内側に土塁を築き、出入口は東西にあって、桝形につくられてあったようです。

堀の外側は松林で、見通しがきかず、西北に「かまどやま」と称する個所があると伝承されています。

この『御茶屋御殿』は、元和元年(一六一五)十一月十七日から同月二十五日まで東金で催された家康の二度日の鷹狩に使用されました。

その後、秀忠が七回、家光が一回鷹狩をしています。