の 登戸浦 北斎富嶽の 絵筆とる

かるた絵札

登戸浦(のぶとうら)

北斎富嶽(ほくさいふがく)の

絵筆(えふで)とる

 

江戸時代の千葉町は、佐倉藩の外港としてたいへん重要な役割りを果たしてきました。

江戸へ積み出される米薪、魚貝類、肥料など数多くの物資をみると、

千葉町が江戸への供給源の基点としていかに重要であったかがわかります。

寒川浦、登戸浦、検見川湊、曽我野浦など当時は大いににぎわったものと思われます。

登戸浦は元禄年間の記録によると最も繁栄したところであったらしく、

とくに成東町や蓮沼村など山武郡北部の村々の物資を江戸に積み出していました。

葛飾北斎の富嶽三十六景にこの登戸浦のようすが描かれています。