
森川家(もりかわけ)
十三代(じゅうさんだい)の
墓所(はかどころ)
一五九〇年生実(小弓)城主であった原胤栄が滅亡した後、江戸時代にはいって
寛永四年(一六二七)森川出羽守重俊が生実藩主として一万石を与えられました。
生実藩は小藩のため城をつくることができず、原氏の築いた生実城跡に陣屋を建てたのです。
重俊は一六二八年より三年余の間、老中として酒井忠勝らとともに幕政を担当し
一六三二年(寛永九年)正月、二代将軍秀忠の死去で殉死しました。
重俊の遺骸は、この寺に葬られ、以後重俊院は森川氏の菩提寺となりました。
森川氏の子孫は、明治維新になるまで十三代がこの地を相続したのです。