よ よろず世に残る 塩田の漁民の碑

かるた絵札

よろず世(よ)に残(のこ)る

塩田(しおだ)の漁民(ぎょみん)の碑(いしぶみ)


 海、海、青き海よ、と碑文は書きはじめ、昭和33年8月、県は生浜漁業組合に対し、漁場を川鉄の工業用地として提供するように申し入れて来たこと、これに対し漁民は日夜協議と交渉を重ねたことを綿々と書き続け昭和36年12月、ついに右申し入れを受諾し、海との生活に終止符を打った経緯が刻まれています。

 明治20年頃より貝類の養殖を始め、明治の末から大正のはじめにかけ海苔の養殖、大正年間の観光漁業としての簀立等華やかだった一切の漁業がこの浦から消えてしまいました。(漁民の碑は天満宮境内にあります)