け 研鑚を 重ねて世直す 南翁師

かるた絵札

研鑚(けんさん)を

重(かさ)ねて世直(よなお)す

南翁師(なんおうし)


 日譲(にちじょう)上人(天羽南翁 あまはなんおう)は市原郡国吉村(市原市国吉)の医師尚之の第4子として生れ、幼い頃父について学問をし、7才にして得道して天保6年(1835)浜野本行寺住職日志(にっし)上人について学びました。

 僧として修行のため、京都妙満寺(みょうまんじ)をはじめ多くの寺々に赴いて研鑽を重ね、更にまた、琴棋書画、詩歌俳諧に至るまでその奥義を極める程の勉強家でありました。

 天保14年、招かれて村田の泉福寺(せんぷくじ)住職となった頃、勤王の志士に共鳴し、志士を匿ったこともあったといわれています。

 明治16年住職をやめ、村田において近郷の子弟の教育に携わりましたが、明治32年11月81才の天命を全うしました。師の碑は神明神社境内に眠っています。