栄枯盛衰(えいこせいすい)語(かた)る
小弓城(おゆみじょう)
昔、千葉氏が城を猪鼻山に築くにあたってこの南生実の地に支城を構えて房総の諸豪族に備えました。応永年中(1394~1428)、原胤高(はらたねたか)が城主となり、以後原氏の居城となっていました。
永正6年(1509)、連歌師宗長(そうちょう)がここに逼留して、原胤隆(はらたねたか)と盃を交したこともありましたがそれから8年後、足利義明(あしかがよしあき)に攻められ、義明が小弓城主におさまり、その勢い、日に日に盛んとなり世にこれを小弓御所(おゆみごしょ)と言われる程になりました。
しかし、天文7年(1538)義明、北条氏綱(ほうじょううじつな)と国府台(こうのだい)に合戦、討死し城は焼かれ南生実の城はなくなってしまいました。
その後、原氏の一族胤清(たねきよ)は千葉氏の助けをうけ小弓に入り北方の地(現在の生実町)に城を築きました。