大膳野(だいぜんの)
田畑(たはた)の肥(こ)やしに秣(まぐさ)刈(か)る
江戸時代中期以前に入会十文字野から分離し、推名郷と古市場の10か村だけの入会となり、内野秣場と呼ばれました。天明7年(1787)野境争いが起き、境界に生実藩新御林(大膳野御林)が設置され、天保12年(1841)内野の一部が藩の開発許可をうけ古市場・刈田子・駒崎・茂呂・大金沢の飛地となりました。明治には入会部分が大膳野と呼ばれ、官有地になりましたが椎名村が借地権を得て草刈り場としました。明治18年(1885)広島県士族大田徳三郎が借地権を得て開墾をすすめ、明治27年(1894)頃から浜野の大堀四方吉氏が大堀農場にしました。大豆や小麦を作り塩田の醤油醸造所で原料として使ったようです。昭和38年県農業センターを誘致し、昭和40年に大膳野町が設定されました。