赤井(あかい)

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 赤の字がつく地名は多い。例えば赤井・赤岡(会津若松)、赤岩(高郷)、赤枝(磐梯)、赤城新田(会津坂下)、赤崎新田(熱塩加納)、赤沢(会津高田・塩川)、赤津(郡山市=旧会津領)、赤土(下郷)、赤伏・赤星(塩川)、赤留(会津高田)など。

 磐梯町の赤枝は、地内に四尺四方の池があり、災異(さいい)の起きるときには赤く変色するのに由来するといい、坂下町の赤城新田は町検断の赤城惣右衛門という者が重門治原(じゅうもんじはら)を開墾して名付けたという。閼伽、垢、明などもアカと読み、閼伽は仏教用語で水の意で、こういう意味のアカに〝赤〟の字を当てた地名もある。地名を考えるとき、地形・歴史等を充分考慮する必要がある。

 ところで、ここの赤井は昔中村といったが(『会津鑑』)、村の西北の穴切坂の麓(ふもと)にある井戸の水が赤い水であるところから、この村を赤井村と呼ぶようになった(『新編会津風土記』)という。事実赤井村は、村内どこに井戸を掘っても水質はほとんど赤くて、飲料水にはならない。それで村なかを東へ流れている街渠に飲料水を求めていたが、今は簡易水道もでき、昭和三十七年十二月以降からは上水道もできて飲料水の方は万全となった。

 村中は白河街道の駅所で、藩制によって街並も整然としている。寛永四年(一六二七)滝沢峠の改修で新道が開かれた頃、数ヵ部落が集って今の赤井駅街を形成した。当時戸数五十四戸であったが、現在は七十四戸に増えている。

 古い街道は、現在の通りの西方にあった。駅方も旧道沿いにあったが、新道のできた際に今の赤井駅街に移り、問屋の荷倉その他を整備して現在に至っているのが、今の赤井郵便局長の田中家である。田中家はまた、篠山に湊を開港した梁僧田中坊の後裔でもあるという。


赤井駅街(東望)

 村東を流れている赤井川は、川の水位が低くて、開田が増える赤井耕土の役には立たず、水騒動でいろいろな事件まで発生したこともあったが、今では電力揚水が徹底して効を奏し、村東よりはるか西方の駅街付近まで赤井川の水をさかのぼらせることができるようになった。しかし村西の高台もすべて開田されたのに伴い、七、八か所の従来の堤を増張して用水を補っている。

 昔は白河街道の重要な駅所として官令掟条目の制礼場もあり、南の原宿駅より六キロ、この駅に継いで、ここより府下に向っていた。

 村中の曲(かぎ)の手に曲る上座に、荒脛巾(あらはばき)神社が祀られている。村の総鎮守である。祭神は金山彦命(かなやまびこのみこと)で、昔は拝殿廻廊巨大な社殿をようし、神田も許されていたという。


荒脛巾神社

 社名の由来は、源義家朝臣東征のみぎり、此所で休憩した際、ここまで来る途中の深谷地を脛巾(はばき)を脱いで渡ってきたので、いざ出立というとき、ついその脛巾の片方を置き忘れてしまった。そこでこの脛巾を神社に併祀、社名も〝荒脛巾神社〟に改めたという。境内には稲荷神社・山神社の相殿二座が祀られている。

 また村北には、円福寺がある。山号は赤井山と号し、真言宗である。草創の年代は詳でないが、天正元年(一五七三)平田大炊助がこの地を領知、寺を中興して尊寿という僧を迎えて住職とした。しかるにその後、堂宇再び荒廃したところを、尊照大和尚が入って再興したというのである。

 その寺跡というのは、村南の〝元寺跡〟と呼ばれるところで、その地には大銀杏の古木が残っている。

 今の寺は享保元年(一七一六)、法印慶英が時に移し建てられたもので、地蔵堂も、元寺跡にあったものをいつの頃にか今の境内に移され、客殿の西南に東向きに建っている。

 本尊の如意輪観音半跏思惟像は秘仏とされ客殿の玄関外欄間には、ご詠歌の大額がかけてある。

  あさひさす夕日かがやくあかいどの
     ほとけの光あらたなるらん

〝あかいどの〟は〝赤井殿〟と〝赤井戸の〟がかけてある。

 ところで、元寺跡にある銀杏の古木には次のような言い伝えがある。

 日本に仏教が渡来した推古朝以前、梁国(中国)の僧が越後の海岸に漂着し、白鹿と一緒に阿賀川・日橋川をさかのぼり、天鏡湖畔に出て篠山庵を結んだことは前述した。この梁僧の子孫の田中氏が、後世、この篠山庵から赤井に移し植えたのが、この大銀杏という。

 銀杏(公孫樹)はもともとが中国原産の落葉高木で、太古に我が国に渡来し、記念樹・日影樹・街路樹・社寺樹として利用されてきた。

 赤井の大銀杏は樹高六〇メートル、枝幅三〇メートル、胸高幹周り二三メートルの巨樹で、特に下枝には数多くの巨大な乳房状のコブが垂れ下り、地元の人たちは通称を「オッパイいちょう」などと呼んでいるが、植物生理学上も貴重なもので、会津若松市の天然記念物に指定されている。樹齢は約六百年余と推定されている。

 地元民は、この大銀杏の葉がにわかに黄色になると雪迎えの節がもう来たのかと雪構囲(ゆきがこい)をし、冬籠りの準備を急ぐ。

 また一夜のうちに落葉して裸木になると、深い大根雪になると信じている。附近一帯の基盤整備に当っても先人と共に繁茂しつづけてきたこの古木を、大切に守り続けている。