桂林寺町通りの西に並び、南は花畑口の郭門より、北は諏方神社の門前に至る長さ五町三十一間(約六〇二メートル)余、幅四間(約七メートル)の通りで、この通りは葦名時代、諏方宮、つまり諏方神社の門前通りとしてできた道である。文化期、この通りに属する家数は二軒であった。
この通り名となった諏方宮遷座の由来は、第九十二代伏見天皇の永仁元年(一二九三)の事である。会津黒川の城主葦名家五代盛宗は、耶麻郡の新宮氏を討つべく、祖先以来信仰を重ねてきた諏訪大神に祈願をかけ、河沼郡笈川まで進軍したところ、一人の神官が隊列の前に現われ、「われは信州諏訪宮の神主である。諏訪大神は軍神であり、ここで汝等と逢ったのはまことに目出度いことである。今日の戦いは必ず勝利するであろう」と言った。これを聞いた盛宗は非常に喜び、その神主を先頭に立てて進撃したところ、新宮助成はその日のうちに戦わずして降伏したという。
神徳に感じいった盛宗は、さっそく信州諏訪から御神体を迎え、その翌二年八月二十六日、社殿の造営成ってここに奉安したのが創始である。
このとき、御神体を奉じて来た御櫃に張られていた鉄製七枚の注連は、同社の珍宝として今に保管されており、県の重要文化財にも指定されている。
ところで社名の「諏方」の文字であるが、信州の社は「諏訪」の文字を用いているのに対し、会津では、本社の文字をそのまま用いては恐れ多いとし、「訪」の文字の言偏をとって「方」と書くようにしたと伝えられている。
『蘆名時代黒川城市図』によると、門前東側に流鏑馬を行なう馬場があり、西側中央寄りには弥勒寺が、南端には宝蔵寺があるほかは樹木が多く、〝千本木通り〟と記されている。この通りが諏方通りと呼ばれるようになったのは、蒲生の町割り以降のことのようである。
江戸時代、諏方神社境内の南西部には、足軽たちが鉄砲を教練する角場があった。『家世実紀』によると、承応三年(一六五四)六月二十七日、「若殿様、諏方神社内で足軽共の鉄砲を御覧なされた」などとあるが、この角場は参詣者に対しても静かでない上、火薬の匂ひは境内に充満し、末社の順礼もそこそこに退出する者多く、神慮恐れ多しということで、天和元年(一六八一)八月一日に廃止となった。
また、諏方神社の例祭は七月二十七日であるが、延宝三年(一六七五)七月十七日、諏方社の祭礼中は社地・町内での花火などが停止を命じられている。
戊辰以降、郭内はいったん開懇地化されて多くの通りは姿を消したが、この通りもまた完全に消滅した。蒲生氏時代に、この通りの南部に設けられた花畑口郭門跡も、今では花畑団地内になっていて、その位置を確認することも、かなりむつかしい状況にある。
これは余談だが、諏方神社にからんで〝諏方の盤〟という、有名な怪談が伝えられている。その内容を紹介するとこうである。
慶長三年(一五九八)、会津では上杉景勝の時代のことである。豊臣秀吉が薨じ、天下は石田方と徳川方に二分され、風雲まさに急を告げようとしていた。景勝は石田三成とひそかに通じ、徳川家康を腹背から挾み討とうと図っていた。しかし若松城は小田山の近くにあり、地理的に不利なところから神指村に新城を築くことにし、急拠領内から十二万余(一説には八万余)の役夫を集めた。ところが、こうして集められた役夫達の間に、諏方神社の境内に、夜な夜な〝朱の盤〟という化者が出るという噂が立った。この噂を耳にした小田角之進という百石取りの侍は、「しからば拙者が、その化物を退治してくれよう」と、ある日の夜更けに諏方の森へとやって来た。ところが来てみると、あたりは綾目もわかたぬ漆黒の闇。ただただシーンと静まり返って、物音ひとつしない。そんななかで、自分の歩く足音だけがヒタ、ヒタ、ヒタ…と聞こえてくる。さすがの角之進もなんとなく薄気味悪く思っていると、自分の後から、何者かがついてくる気配。スワッと身構えると、それは何と、自分と同じような若侍である。角之進もホッとして、「貴公も朱の盤の噂を聞かれ、化者退治に参られたのか?」と問うてみた。すると若侍は角之進の前まで来て足を止めたが、ヌーッとつっ立っているだけで返事をしない。角之進はまた同じことを尋ねてみたが、やはり返事がない。角之進はムッとして、「そなたは朱の盤をご存知か!」と大声でどなった。すると若侍は割れ鐘のような声を張りあげ、「朱の盤とはこんな顔の化者か!!」と、角之進に自分の顔をニューと突き出してきた。驚いて角之進が見ると、いやその形相のものすごいこと、顔色はみるみるがうちに朱色に変わり、目はランランと鏡のように輝き、振り乱した髪からは二本の角がニュウと突き出し、耳まで裂けた口からむき出された金の牙はガチガチと鳴り、その歯音はさながら雷鳴のよう。そのあまりの物凄さに、さすがの角之進も一声ウーンとうめいただけで、その場にドーッと、気を失ってしまった。
角之進がようやく正気に返ったのは、それから約一時間ばかりしてのことだった。「我ながら、とんだ不覚をとったわい。」と苦々しく思ったものの、あまりもの恐ろしさで喉はもうカラカラ。どこぞに水を所望するところはないものかと周囲を見廻してみると、幸いなことに近くに灯が見える。角之進はホッとして、その家を訪ね、「夜分まことに相済まぬが、水を一杯ふるまっては下さらぬか」と声をかけた。するとその家のおかみが出て来て、「貴方様は大層お顔の色が悪るうございますが、如何なされましたか?」と聞く。そこで角之進は問われるがままに、「今しがたこの近くで朱の盤という化者に会った…」とこれまでの一部始終を話した。するとそのおかみは、「朱の盤とは、あるいはこんな顔をした化者のことではありませぬか?…」と言って、自分の顔をグッと角之進の前に突き出してきた。見ると、おかみの顔はみるみるがうちに変って朱の盤になった。いやァ角之進おどろくまいことか、ギャーッと叫ぶやいなや、どこをどう突っ走ったのか無我夢中で逃げ、ようやっとのことで我が家にたどりついたものの、そのまま病の床につくようになり、そしてとうとう、百日目にしてこの世を去ったという。