内小田垣一番丁の南に並び、東は宝積寺通りより、西は三之丸濠にいたる長さ二町(約二一八メートル)、幅六間(約一一メートル)の通りで、文化期における家数は十三軒であった。
今では小田垣遊園地の西方から、若松乳児院の北側に至る区間に、僅かばかり昔の道形を残しているが、西は陸上競技場のほぼ中央部に至る通りであった。昔はこの丁の末、小田垣口の西に、足軽たちが弓術を学ぶ的場があった。
(小島)
・二番丁
内小田垣一番丁の南に並び、東は宝積寺通りより、西は三之丸濠にいたる長さ二町(約二一八メートル)、幅六間(約一一メートル)の通りで、文化期における家数は十三軒であった。
今では小田垣遊園地の西方から、若松乳児院の北側に至る区間に、僅かばかり昔の道形を残しているが、西は陸上競技場のほぼ中央部に至る通りであった。昔はこの丁の末、小田垣口の西に、足軽たちが弓術を学ぶ的場があった。