小田垣一番丁の東端からやや北寄りに、宝積寺通りを隔て、東に向かう長さ四十間(約七二メートル)ばかりの小路があった。先は行き止まりになっているところから、袋丁と呼ばれた。現在の城東町、会津若松看護専門学校の裏、市営住宅城東町団地との中間位に位置した小路であった。
文化期における家数は、二軒であった。
(小島)
・袋丁
小田垣一番丁の東端からやや北寄りに、宝積寺通りを隔て、東に向かう長さ四十間(約七二メートル)ばかりの小路があった。先は行き止まりになっているところから、袋丁と呼ばれた。現在の城東町、会津若松看護専門学校の裏、市営住宅城東町団地との中間位に位置した小路であった。
文化期における家数は、二軒であった。