・一之町

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 甲賀町と大町の間を東西に通る町で、城に近い方から数えて最初の町なので〝一之町〟という。馬場町を中にして東を〝上一之町〟西を〝下一之町〟といい、道幅はどちらも四間(約七メートル)で、上一之町の長さは一町四十七間(約一九四メートル)の道の両側に二十二軒の家があり、下一之町は長さ二町三十一間(約二七五メートル)の道を挾んで四十六軒の家が並んでいた。

 幕藩時代のこの町の様子はよく判らないが、文化四年(一八〇七)編の『風俗帳』では商業や手工業を営む者が住んでいると書かれている。

 明治元年の調べで職種別の仲間組織に加入している者は、呉服細物六、他所入太物一、荷綿問屋二、薬種三、堺古手二、打綿屋五、塗店一、漆問屋二、大坂出塗商一、江戸出塗商五、紙合羽屋二、真鋳銅問屋一、こんにゃく屋一、正阿弥商人四、菓子屋二、輪篩屋一、煙筒屋三、犬箱屋二、雛問屋三、煙草屋二、茶問屋二、他所入古手一、竹問屋二、紙煙草入三、髪結一、洗濯屋二、染屋一、合薬一、紅染二、紅花一、質屋四、味噌屋一、旅籠屋十二、乾飩屋二、醬油屋一、肴問屋一、肴屋四、糀屋一と三十八業種を数えた。

 明治維新後になると、この町筋に通信、金融、官庁等、若松の心臓部にあたる機関がぞくぞくと設置されていく。明治五年七月一日に若松郵便取扱所ができ、六年五月には若松郵便役所、八年一月に若松郵便局になった。明治十年十一月二日に設立許可された第三十一国立銀行は、十一年六月九日資本金十万円で、大町四ツ角の北の角から東二軒目の処で開業した。明治二十三年二月には安田銀行若松支店(富士銀行の前身)が営業を開始した。明治二十九年五月には、今の東邦銀行の前身会津銀行が資本金二十万円、払込金五万円、谷半兵衛が代表で開業した。


昔の若松郵便局

 明治四十年、安田銀行若松支店は、黒の漆喰塗りで入口を石段で積み上げた蔵造りの新店舗に新築したが、この建物は昭和四十年に愛知県犬山市の明治村に移築された。

 明治二十二年四月一日、町制が施行されて若松町が制立した。それまでは「北会津郡若松〇〇町」と、町の上に〝若松〟の文字を冠するだけであったが、これからは「北会津郡若松町○○町」と書くようになった。

 その頃の町役場は現在の中合のあたりにあり、一之町の通りから入り、役場の前には小さな濠があったが、それは旧外濠の一部で、濠には藩校日新館の三日月の池に架かっていた石橋を持ってきて架けてあった。

 明治三十二年四月一日、市制が施行されたが庁舎はそのまま使用され、現在地に新築移転されたのは昭和十二年八月のことであった。

 大正四年六月、第四銀行若松支店が新一ノ町十七に開店し、九年九月十三日には若松信用組合が馬場上一ノ町二十で営業を開始した。この頃、第百七銀行支店も大町一ノ町二十一で営業している。現在下一之町は神明通り・中央通りで分断されたが、一之町に在る金融機関は郵便局を入れて七店舗を数える。

 大正十年代の頃になると、自動車の利用も普及するようになり、大町四ツ角の北の角に会津自動車運輸株式会社が営業を開始した。

 昭和四十一年九月一日の住居表示整備により、〝上一之町〟は馬場町となり、〝下一之町〟はその後中央一丁目となった。

(中村とし)