横三日町の南端から東に折れ、台町に抜ける長さ二町(約二一八メートル)、幅四間(約七メートル)の東西の道路で、家数は三十六軒であった。
蒲生の町割りによって出来た町で、氏郷の母親の屋敷のおかれた屋敷町の南にある横町なので、この名があるのだろうと思われるがはっきりしない。
この町に、元祿十一年(一六九八)に、酒を造る者が一人住んでいたという記録がある。
天保七年(一八三六)、藩士杉原外之助がこの町に私塾を開き、教師二名で生徒百名に医学と漢学を教授し、安政・文久(一八五四-六三)期が最も盛んであったという。
この町の様子、推移等の記録は今のところ見当らない。
新住居表示により〝宮町〟となる。
(中村とし)