・清水丁

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 上長丁と願成就寺前通りの間にあり、東は浄光寺前通りから、法林寺通りに至る長さ四十六間(約八四メートル)余、幅二間(約三・三メートル)の竪通りで、化政期における家数は六軒であった。

 現在、この通りは宅地化し、昔の面影は全くないが、南千石町二番四十四号の●●●宅の敷地南側を通り、産業道路の同町一番三号のあつあつ弁当店までの通りであった。

 この町の東南にある御薬園の清水が、この竪町に注ぐところから、清水町の名がついた。

 御薬園の清水は、古くは鶴の清水と呼ばれていたようであるが、後には念仏清水と呼ばれるようになった。

 『御薬園由来つづれ草』によると元祿(一六八八-七〇三)の頃、三代正容(徳翁霊神)が薬園を普請して〝御薬園〟と名を改め、番人を置いて他の者の入園を禁じた。ある時、旅の僧が尋ね来て、「この薬園には、尊き神の薬湯のあることを聞いて尋ね来た。ぜひ参詣させてほしい」といって番人に頼んだ。しかし番人は、この申し出を断わった。僧は止むなく、夕暮れになるのを待って、薬園の外より、鶴の清水に向って夜遅くまで念仏を唱えて戻っていった。それからというもの、夜毎にその清水から念仏の声が聞こえてくると評判になり、自然にこの清水を〝念仏清水〟と呼ぶようになったという。

 現在この町のあったところは、南千石町地内になっている。

(小林)