千石町

128 / 184ページ

 蒲生氏郷は、文祿元年(一五九二)六月より黒川城の改築を中心に城下町の建設に着手し、翌二年六月にはそれぞれがほぼ完成し、この時始めて家臣団の居住が定まった。

 氏郷はこの時点において、千石町に知行百石の士十人を住まわせ、合せ高千石になるところから町名となった。


 その後、松平氏時代のこの町は、千石町一番丁・同二番丁・中間町一番丁・同二番丁・専福寺脇片原町・高井丁通り・専福寺前通り・薬師前通り・南鷹匠町・北鷹匠町・餌指町など十一条の通りからなり、主に足軽・同心の者が居住した。

 昭和四十一年の住居表示改正で、この町は千石町一~七番になり、薬師前通りが宮町八、九番になった。

(小林)