・専福寺脇片原丁

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 中間町二番丁の北に並び、東西五十四間、通りの東端より南に折れて同二番丁に出ると『新編会津風土記』にはあるが、『戊辰城下明細図』には、この通りは表記されていない。いつの時代にか、廃道になってしまったのだろうか。

 この通りのいわれも不明であるが、推考すれば、専福寺の脇にあって城下のはずれで、北側には宅地がなく、ただ芦野地になっていて、南側にだけ住居が並ぶ片側の町であったのではないかと考えられる。つまり専福寺の脇にあって、道の片側が原の意で〝専福寺脇片原町〟と呼ばれたのであろう。現在では千石町の地内になっている。

(小林)