高井丁の北に続く通りで、北は中間一番丁に至る長さ一町(約一一〇メートル)余の通りで、化政期における家数は、三軒であった。
戊辰戦争で、会津藩の全責任を負って切腹した萱野権兵衛の四男郡勘四郎氏が、大正年間、日本郵船の船長を退職されてこの通りの北端に屋敷を設けられた。
現在の町名は千石町で、この通りの東側にホテルキャッスルがある。
(小林)
・高井丁通
高井丁の北に続く通りで、北は中間一番丁に至る長さ一町(約一一〇メートル)余の通りで、化政期における家数は、三軒であった。
戊辰戦争で、会津藩の全責任を負って切腹した萱野権兵衛の四男郡勘四郎氏が、大正年間、日本郵船の船長を退職されてこの通りの北端に屋敷を設けられた。
現在の町名は千石町で、この通りの東側にホテルキャッスルがある。