蒲生氏郷の町割りによって出来た通りで、主に鷹匠を住まわせていたので、そのまま町名になった。
『広辞苑』によると、鷹匠とは将軍、藩主などの鷹を預かって馴養し、鷹狩りの事に従事した役とある。
この通りは二条あって、いずれも東は専福寺前通りより、西は台町の北に続く小路に出る通りで、南にあるのを南鷹匠町、北にあるのを北鷹匠町と称した。
南鷹匠町は長さ一町十一間(約一二九メートル)余、幅二間(約三・六メートル)、家数十七軒。
北鷹匠町は長さ一町九間(約一二五メートル)余、同じ道幅で家数は十七軒であった。
化政期の代になっても、鷹匠が多く住んでいた。
(小林)