・餌指(えさし)町

130 ~ 132 / 184ページ

 この町の通りも、蒲生氏郷の町割りによって出来た町で、餌指の者を多く住まわせたので、その職名が町名になった。

 『広辞苑』によると、餌指は餌差、餌刺とも書き、鷹の餌となる小鳥をモチ竽でさして捕える人のことをいい、江戸幕府においては鷹匠の部下に属した職名とある。

 この通りは、専福寺門前より西は真龍寺手前までの、長さ一町六間(約一二〇メートル)余、幅二間(約三・六メートル)の小路で、化政期頃の家数は二十一軒であった。



明治26年版「若松市地図」(部分)