郭内の内小田垣に対し、郭外に位置していたので〝外小田垣〟という。
この町通りは二条あって、外小田垣隍端一番丁・同二番丁で、この一画に居住したのは百石以下の士であった。
現在の会津若松市文化福祉センターの前庭あたりが通りの西端になり、陸上競技場の南側の外周部が外郭の土手であった。それに沿って、東の体育館、駐車場を抜けた先までが通りであったが、この二条は明治以後、早くから姿を消した。
この会津体育館建設以前は、本丸で行なわれていた市営競輪場が、昭和三十四年にこの地に移設されていた。
現行は、昭和四十二年二月の住居表示によって、城東町十四番地内になっている。
(小林)