南町 みなんまち

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 昔、江戸時代から明治初年まで、〝南町〟というのは、名前のとおり鶴ケ城の外郭の南にあった町の総称で、湯川の流れを中心に小さい町がその南北に散在していた。若松の城下町は主として城の北方に、郭内の武家屋敷町も、郭外の町人町も発展していたから、城南の町は大きく分けると、この南町と象眼町の二つの町で、その南に南町分があるだけであった。

 南町は、『新編会津風土記』によれば、次の十四町に分けられる。

中町・花畑通り・晒屋町・十五軒町・河原新丁・中横町・常慶寺町・十軒丁・西横町・竪町・湯川端通り・二十軒町・年貢町・若葉丁

 なお、明治以後の南町は、湯川に架かる南町大橋の南を道路に沿って〝南町〟〝年貢町〟と称したので、そこを指すようになり、昭和四十年以後の住居表示では、湯川北岸の旧北川原町付近を〝南町〟というようになるが、ここでは江戸時代のことを述べる。

(宮崎)