石塚向河原丁の末に続き、中河原町に至る南北の通りで、石塚観音がある石塚前通りの対岸にあるのでこの名がある。化政期における家数は三十八軒であった。
通りの南の方は湯川に沿い、家居はすべて東側だけに連なるが、北の部分は東側が外濠に接し、西側だけに家居が連なり、この附近は隍端とも呼ばれた。
長さ三町五十間(約四一八メートル)、幅はところによって広狭があり、一定していなかった。
この道の南寄りのところから、対岸に渡る仮橋が架けられていたが、その橋の位置は現在の湯川橋の位置よりも北寄りであった。
この橋は後に永久橋になったが、西若松駅東口からの産業道路開通の際につけ替えがなされ、昔の欄干の柱が片方だけ、この丁の入口左側に今も残っている。
現在の町名は湯川町である。
(小島)