湯川に架かる仮橋を西に渡り、少し行ったところで南に折れる道が、石塚六軒丁であった。長さ三十六間(約六五メートル)、幅三間(約五メートル)の小さな道に、家数が六軒あるところから石塚六軒丁と呼ばれた。
昔、この地に日本禅宗三派の一つである黄檗(おおばく)宗の寺があったが、いつの頃にか廃絶し、その後、一ノ堰に大坊という太子守宗の比丘(僧)があり、親鸞の法門に帰依して浄土真宗に改宗、この地に移って光正寺を開いた。
だがこの寺もまた、数世を経た寛文(一六六一-七三)中に廃寺となり、その跡地には材木蔵が置かれ、また湯川に近いところから川船の倉庫も置かれるようになり、木倉六軒丁と呼ばれていた。その後、士屋敷がここに置かれるようになってからは、石塚六軒丁と呼ばれた。
現町名では城西町の一画になっており、湯川橋を渡って最初に左に折れる道が、旧石塚六軒丁である。
(小島)