新町

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 現在の川原町三番・城西町二、八番・材木町一丁目一~八番の一帯を、新町と称した。

 蒲生の街割りによってできた町で、当時は〝家風町〟と呼ばれていた。

 寛永十二年(一六三五)、加藤明成の代にこの地に新しく士邸が置かれるようになってから、〝新町〟の名で呼ばれるようになった。

 この新町には、南北に通じる道として、東から湯川端通り・石塚前通り・石塚裏通り・新町一番丁・同二番丁・同三番丁があり、東西に通ずる道としては、北から馬場丁・狐丁・北丁・新丁などがあった。

(小島)