川原町橋の袂より、湯川に沿って弘長寺の手前にいたる通りで、長さ一町四十二間(約一八五メートル)余、幅五間(約九メートル)。化政期における家数は、道の西側にだけ五軒あった。
この通りの南端は石塚前通りと称し、弘長寺前、現在の東明寺前より石塚観音の東側に出る道であったが、今は人家が建ち、川沿いに湯川橋袂に出る道が新しくつくられた。
明治四十一年、歩兵第二十九聯隊の若松移駐を記念し、市内各地に桜が植樹された。その際、この湯川端にも植樹がなされ、大正から昭和の初期にかけて、この河岸は桜の名所になり、湯川の中央には噴水が、河岸にはボンボリが立てられて桜の名所として賑わった。
現在も河岸に若干の老桜が残っていて、当時の面影を僅かにしのばせてくれる。(小島)