東の新丁より続いて烏橋のたもとまでの間一町四〇間(およそ一八〇メートル)の通りで、家数は一一軒あった。また橋のたもとから黒川(湯川)に沿って北の方に小路があって、半兵衛町組町に続いていた。
烏橋の由来は定でない。むかし、橋をつくったとき油を塗った後変色して黒くなったという説や、融通寺町口方面より流れる堀が、ちょうど湯川に流れ落ちるあたりがカーブしていてゴミが岸に打ち上げられ、そこへ烏がよく集まっていたことからこのように言われるようになった説など、いろいろあるがはっきりした由来はわからない。橋のたもとにある崖薬師如来は、むかし二ッ釜の小高い丘-現在の日新小学校の西側にあったものをここに移したと言われる。現在の町名は新横町である。
(本田)