烏橋通・水主丁の東西の通りに対して、この二つの通りを中央あたりで横切って南北にのびる道があった。極楽寺裏通・横丁通・横丁と丁名は三つに分れていたが、一連の続いた通りであった。現在、川原町橋から北に進み、新横町を通り、融通寺町(本町)の極楽寺西側あたりまでの南北の長い通りである。
極楽寺裏通は極楽寺西側で、それに続いて横丁通・横丁があり、南の烏橋通まで二町九間(およそ二四〇メートル)余、家数二〇軒であった。
(本田)
・横丁通
烏橋通・水主丁の東西の通りに対して、この二つの通りを中央あたりで横切って南北にのびる道があった。極楽寺裏通・横丁通・横丁と丁名は三つに分れていたが、一連の続いた通りであった。現在、川原町橋から北に進み、新横町を通り、融通寺町(本町)の極楽寺西側あたりまでの南北の長い通りである。
極楽寺裏通は極楽寺西側で、それに続いて横丁通・横丁があり、南の烏橋通まで二町九間(およそ二四〇メートル)余、家数二〇軒であった。