・極楽寺北通

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 赤井丁から西に続く通りで、半兵衛町の東北部の通りをこのようによんでいた。

 蒲生の町割りの際に、戦時以外には役職の無い者、つまりは手明の者をここに住まわせたのでこの名がある。

 赤井丁に続いての小路は四八間(およそ八六・九メートル)、更に北に折れて三条の通りとなり、東から三〇間(およそ五四・三メートル)、家数五軒。次は長さ五三間(およそ九六メートル)、家数一五軒。その次は長さ三二間(およそ五八メートル)、家数一〇軒となっていた。また半兵衛町新丁通にも通じる小路があって、一八軒ほどの家があった。

(本田)

手明町の現在の姿