妙法寺前通を北へ進み、上河原分田圃(現在昭和町)に出る手前から西に折れ、しばらく西進して再び南に折れて千軒道に出る通りである。すなわち千軒道北側に並んでいた定善寺、治国寺、蓮華寺の三ケ寺と並行に、更にその北裏にあった東西の通りと定善寺西側にあった通りを指して、このようによんでいた。その間二町一二間(およそ二四〇メートル)余で、八十人町では一番長い通りで、ここには四二軒の家が建ち並んでいた。
この長丁の東側には東西にのびる四つの通りがあって、南から八十人一番丁・同二番丁・同三番丁・同四番丁の順に北に向って整然と区画されていた。現在の相生町五番と蚕養町九番あたりと思われる。
(本田)