後ノ分の北はずれ、威徳院の西側をカーブして北に進む道、現在の城北小学校前の通りを裏町、又は糠塚裏丁と呼んでいた。時代によって呼び名も変わっていたが、前者の方が古い呼び名である。表丁よりずっと後に出来た通りと思われ、道幅も表丁の倍ほど広く三間(およそ五・四メートル)であった。そして家数も四四軒で比較的多かったようである。
(本田)
・裏町
後ノ分の北はずれ、威徳院の西側をカーブして北に進む道、現在の城北小学校前の通りを裏町、又は糠塚裏丁と呼んでいた。時代によって呼び名も変わっていたが、前者の方が古い呼び名である。表丁よりずっと後に出来た通りと思われ、道幅も表丁の倍ほど広く三間(およそ五・四メートル)であった。そして家数も四四軒で比較的多かったようである。