高野山は、高野聖らの活動によって弘法大師信仰を広げ、諸国に檀那を有していました。高野山の高室院は、後北条氏と結びつきを強め、相模国を中心に檀那場とし、江戸時代中期には、市域の村は、すべて高室院の檀那場となっていました。寛政8年(1796)に、高室院の僧侶が杉久保村泉蔵院など市域の寺院に宿をとり、名主に布教活動の許可を得て、檀那各戸から寄付を徴収した記録も残っています。その際、次の村へ移動するときは、村から人馬を提供するなど、好意的な対応でした。
治右衛門たちは、伊勢参りの後、高野山高室院で月牌料(毎月の命日に供養するときに納める金銭)などを納め、宿泊しており、高野山との関係をうかがい知ることができます。