現在の葛飾区の小松の地を源流とする小流を小松川(現境川)と名づけその両岸の地を呼んでいる。
この小松川の沿岸は既述したように旧行徳街道椎橋の付近から上流香取神社に至るまで屈曲の多い部分に貝塚が発達して点在し古来から集落があった。
この付近は冬菜の産地で、且て将軍家御鷹野の折に、御膳所になった仲台院に休憩された折、食膳に供された菜が美味であったので将軍がこれを賞して小松菜と命名せよといわれたという話が伝えられている。
近くの亀戸村の名産亀戸大根とならんで江戸時代から近郊蔬菜の産地であった。
東、西小松河は後世「川」と書くようになった。