篠崎郷と称した地、小字に本郷があるが、この地の中心地でもあった。本郷は本郷で、郡司の役所のあった土地を称する場合が多く全国各地にこの名称は多い。
篠崎という地名は本来砂洲上の土地でしかも篠竹の茂っていた土地である。
その因縁か、篠崎には古くから篠竹利川の竹ざるつくりが行われて本郷を中心に未だに数戸現存している。
この地は篠崎の津とも呼ばれ往昔下総国府に出入する船舶が江戸川河口の長島湊からさかのぼり篠崎の津を経て真間の入江に通ずる航路の要衝であったし、陸路は対岸行徳と交通ひらけ北に内陸部の岩槻への街道があった。
この地の浅間神社は区内最古の神社といわれ、今社殿のある小丘は古墳上に盛土してつくられたものと推定されているし、この小丘の周囲には周濠のあとを留めている。
篠崎の地の小字柳島にある勢増山稲荷付近は古墳時代の包含地遺跡で出土品の中に弥生式土器の残片も出ている。しかし今は住宅地となり湮滅してしまった。
上篠崎の地から区内最古の板碑(正応元年一二八八年)が出土している。