三、江戸時代後期の村名

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 中平井村
○下平井村
○上小岩村
 中小岩村
○下小岩村
 小岩田村
 伊予田村
 笹ヶ崎村
○東小松川村
○西小松川村
 逆井村
 船堀村
○東一之江村
○西一之江村
 一之江新田
○二之江村
○本一色村
○上一色村
 興野宮村
 新堀村
○松本村
○鹿骨村
 谷河内村
○上篠崎村
○下篠崎村
 伊勢屋村
 前野村
 当代島村
○上鎌田村
○下鎌田村
○上今井村
○下今井村
 桑川村
○長島村
 東宇喜田村
 西宇喜田村
    以上新篇武蔵風土記稿にある村名
    ○印は鎌倉時代にあった村名である
 以上は文政年間の村名で三十六カ村に上っているが、この村名は明治二十二年の市町村制度実施の時まで全く変っていない。
 
 室町時代以降諸国に戦乱が続き、この江戸川区周辺も幾たびか戦場ともなった。その結果村落の増加もなく推移したわけであるが江戸幕府開府後は急速に江戸の市街が発展して行ったとともに、幕府のとった江戸近郊の新田開発の政策により江戸周辺に多くの新田がひらかれたのである。
 鎌倉時代に比して、中平井、中小岩、小岩田、伊予田笹ヶ崎、逆井、船堀、一之江新田、興野宮、谷河内、伊勢屋、前野、当代島、桑川、東宇喜田、西宇喜田の村々が出来、蒲田が上、下鎌田に、今井が同じく上、下今井に、一色が上一色と本一色に分村している。
 徳川初期正保年間図では小岩新田、伊予新田、宇喜新田、当代島新田、船堀新田との記載がありこれらの新田は元禄年中の改定図ではそれぞれ一村をなして独立している。
 こうして文政年間には三十六カ村にも増加したこれらの村々の村名を一ベつして見てもわかるように鎌倉時代の村名の特色と同じく水郷的な地形的特徴による呼称がやはり圧倒的に多いということが出来るのである。