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三、江戸時代後期の村名
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■村名小解
○中平井村、中小岩村
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ともに上下二村から徳川初期に分村して一村を成したものである。この時代の一村は凡そ四五十戸単位であったのが通例である。
このことは古く奈良時代に郡郷制の行われた頃の里の単位がやはり四十戸から五十戸単位であったのと同様である。当時の社会の共同体のそして里長なり村長なりの行政的、統治的な限界があったことを示している。
だから江戸時代に入って新田開発、そして人工の増加により自然戸数の増加が起って上、下の地域の中間地帯が独立して一村を成したものである。