(二) 明治二十二年前後を中心とした字名

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                  ( )内は旧称
○中平井村 後、高場、堤外、町田、管田、真久利、本郷、西袋
○下平井村 蟹田、大縄場、庚申前、高田、出口、町田、北宅地、南宅地、反高場、石田、田中前、三番目、田之倉、新田、菱喰田
○上小岩村 堤外、居村東、居村西、後田、前、道下
○中小岩村 西(伝馬田)、上東(田山)、下東(下馬木)、後関(斉藤)、堤外
○下小岩村 川原田(川原田、東町田、西町田、銑先)花ノ木(花ノ木、東馬繋場、西馬繋場)、南扇子田(南扇子田、小名木苗間)、北扇子田、藤こぶ、*前沼、木島、中屋敷(中屋敷、西光院前、宮下)、町屋敷(西町屋敷、東町屋敷)、どろめき(どろめき、上ノ出口)、沖中道下(沖中道下、西耕地)、沖沼(沖沼、高野沼)、中道上(中道上、平十郎後、市郎左衛門後、紋三郎後)、片山、橋場(橋場、稲荷後)、*下馬木(下馬木、北下馬木)、八幡、道面、入屋敷(入屋敷、番形)、堤外(堤外土手附上野、川附上野)
○小岩田村 *三谷、大道下、高ノ下、土浄野(高ノ下)、東(三十八丁)、西(三十八丁)、反高(反高場)
○伊予田村 堤根、高ノ下、三番通、三十八丁
○笹ヶ崎村 神沼、南坂、篠崎、堤外
○東小松川村 *田子沼、*腰巻、榛芦場、浅間前、殿新田、中道、*古堤、*金子、*熱田、*新道上、仙我坊、宝田、毛知、新井妻、向田、品清、幸、堀込、宿畑、古淵、中川通、萱野、猿子、*北替戸、*浮洲
○西小松川村 *堂ヶ島、後、*上沼、島沼、小町、諏訪町人、榎戸、六反目、北、末ナシ堰、蹴上ゲ、通堰、三反目、経塚、壱ノ割、弐ノ割、*保町、行人、小野原、谷田部、内野、鎌田、鎰田、東金子、*新町、谷部沼、中川堤外、四股、五分一、大町、蒲原、網差、古田、道祖神三角
○逆井村 善正、丸田、逆井
○船堀村 宅地通、住吉、屋敷廻、曙、大和、朝日、神前、陣屋(以上東船堀)一ノ割、二ノ割、川通(西船堀)
○東一之江村 江戸(*江頭)、森下、清水、蓮田、的場、北又、田中、馬場、宮ノ下、袋
○西一之江村 内野、*原前、*藤屋敷、*今体、*田子沼、東福寺、*金山、古銭、*今宮、山王、飛地
○一之江新田 椿、東、南、中、北、西
○二之江村 十五面、小島、二之割、三之割、三四五ノ先、四之割、御立野、元御立野、五ノ割、下府、乗掛下内、蒸掛、前洲、川中、上蜆島、下蜆島、宮前、川縁四五ノ先、三ノ先
○本一色村 下野良、中折田
○上一色村 *塚ノ越、山王、六ッ割、五町三反、稲荷六軒島
○興野宮村 久弥下、前田
○新堀村 山王、出戸、高田、鳥居、大堀
○松本村 江ノ島、宮ノ下
○鹿骨村 西田、村内、向田
○谷河内村 艮、巽、坤、乾、中
○上篠崎村 塚越、柳島、高畑、笹ヶ崎、押上、高土手、上浅間前、二反目、神替面、黒津、島
○下篠崎村 田中、道山沼、黒津、前図師、*中図師、*本郷、蓮沼、上耕地、島、出洲、篠田、中洲
○伊勢屋村 新田、古田、新工、東田
○前野村 *南堂、*後(宇志路)屋敷添、上前、反高
○当代島村 八反、稲荷、畑合、滝沢
○上鎌田村 *鎌原、*高田、*和ノ内、前、出戸、鍛治、築山、境田、圦下、圦上、反高、下小野原、出洲、中島
○下鎌田村 亀田、鎌原、谷前、*辻、西田、後、前外
○上今井村 三蔵、*宝来作リ耕地、*木ノ花作リ耕地、大池沼耕地、*三蔵沼耕地、*戸葉作リ耕地
○下今井村 古川北、古川南、江戸川南、*十五面、*小島、二之割、三之割、三四五ノ先、四之割、五之割、下府、乗掛、蒸掛、川中、上蜆島、下蜆島、川縁、元御立野、四五ノ先
○桑川村 *出戸、*和免、中島、川向、*十五面、*小島、瓜山、二之割、三之割、三四五ノ先、四之割、五之割、下府ノ乗掛、下内、前洲、四五ノ先
○長島村 千種、北井戸田、南井戸田、拾町前、川成滝野、東川原、前津、小屋前、東新畑、八反歩、*仲ノ割西新畑、古下道、新下道、横江川、江戸切、給分、海端海端堤外、上蜆島、下蜆島、妙見島、西新堀、第六天
○東宇喜田村 草苅場、*中ノ割、*池尻、横手、*前津、下内、川中、上蜆島、下蜆島
○堀江村(千葉県行徳領)太郎次、八町歩、古寅、稲荷元割、将監、松浦、向卯、向辰、松浦外、下蜆島
○西宇喜田村 一ッ木路、*棒芦場、雉山、横枕、十町天沼、千葉水、*草苅場、飛地ヶ谷
 *印のあるものは江戸時代新篇武蔵風土記稿に記されている小名
 上今井の木ノ花作り耕地は木花と呼ばれているので風土記稿の誤であろう。
 以上は大体明治二十年頃までの江戸川区内の字名を集めて見た結果である。資料が完全でないので精粗のきらいがある。しかもそれぞれの字について現地にあたって古老などからたしかめて調査して行くことが必要なのであるが時間的に間に合わず手許にある書籍、記録、地図等によったのが大部である。
 明治時代の字名を江戸時代のものと比較して見ると、その数に於てはほぼ倍以上に上っている。
 これは明治以降に於て、書上げ、記録などが整備されていった結果であると思われる。土地台帳などが出来て字名の記入が必要になったことも一因であろう。
 明治時代に新らしく江戸時代の記録にない字名がかなり多くなっているわけであるがこれには二つの理由がある。一つは古くから既に土地で言い習わされていた呼称が正式に小字名として記されるようになったものと、今一つは明治二十二年の市町村制施行前後に於て、古い字名を整理して新らしい字名がうまれたものもかなりの数に上っている。
 維新以後新時代の改革の波にのって字名の整理や統合に封建的な伝統的なものを打破らうという願望なり意志が表現されたものだといえよう。
 以下前章と同じように字名の類型的分類と小解を附しておく。